留学1

私は高校卒業3ヶ月前にハワイオワフに一人でいった。
そのころは17歳で、いま思うとなんと勇敢者だろうと自分ながらに
尊敬する。一応留学が決まって駅前留学にいき始めた。でも高校の時の英語の成績はどちらかというとわるかった。。
でもどうしてもアメリカに英語を勉強しにいきたかった。。
最初のころはどうしてもニューヨークに行きたくて親の説得にがんばってけど、親からはNO!ハワイなら昔から友達のハワイアンのかぞくがいたからOKとのこと。それでハワイ留学が決定した。
高校はラッキーなことに1月からなら登校日数が週1程度になるのでハワイに行っても卒業できるといわれた。
それで1月4日ハワイに向けて一人出発したのだ。
出発前学校の寮に入ることを希望してたけどもう満杯といわれ、ホームステイ先を紹介された。たしか当時6歳の男の子と13歳ぐらいの女の子とハワイアンの両親の家庭に滞在することが決まっていた。
それで行く前にSTUDENT VISA を5年もらった。1年が語学学校、後4年が大学の予定だった
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親と福岡空港で別れ一人でホノルル行きの飛行機に乗っている時は人生味わったことがないくらい不安だった。
7時間まったく寝ることもできず、ちょっと涙がでてた。なんで決めたんだろうっておもいながら、わくわくよりもチョッと後悔のほうが先立った。
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そのせいで、ホノルルに着いたときはかなり疲れてて、でも学校からの迎えの車を探した。。それで。。30分まったのに1時間待ってもこない。。
学校にでんわを入れても早朝だったのか誰もでない。
もう不安と恐怖でいっぱいになった私は、友達のハワイアンに電話をかけた。それでスグ迎えに来てくれた。
その時やっと安心したのか初めて凄く耳が痛いことにきずいた。
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無事にホストファミリーのいえに着き、夜になっても耳が凄く疼く。
どうしてもいたかったのでホストファーザーにいって次の日病院に連れて行ってもらった。そこでなんと鼓膜が倒れてるっていわれ抗生剤を耳に入れられた。ほんとに最悪なスタートだった。。。
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更新3月4日
学校は大学が経営しているEFPという語学コースにまず入った。これに入る時
語学テストみたいなのがあってわたしはレベル0から2までの中の1に入ることになった。まあしいていえばミドルレベルのクラス。この学校ははわいにあるから結構日本人はどっさりといたが私の暮らすにはわたしをふくめて2人か3人ぐらいだった。でも最初の留学だったから結構ほかのクラスの日本人と戯れるか台湾、韓国人の生徒と大体過ごしていた。
私がなかよくなった日本人はだいたいレベル2の生徒、私からしてみれば英語ができる日本人たちだった。。その人たちは過去に大体留学経験なんかがあり、私にとっては結構大きな支えにもなった。
学校もなれつつハワイ生活を楽しみ始めた私にひとつ大きなもんだいがあった。それはわたしのホストマザーがアルコール中毒だったこと。
夜ごはんも一緒に食べたことはなく、あさも一人でおき、学校にいく。それで門限もあり5時半には家にいなければならない。。あれは結構苦痛だった。家に帰ってもまったく楽しいことは無く子供たちはおかーさんがいるベッドルームで寝るまですごし、ほんとにやることは無かった。
まあせめてものすくいにおとーさんは普通の警察官でけっこうちょくちょくわたしに話しかけてくれてた。
でもこんな生活に耐え切れなくなった私はもともと友人のハワイアン家族に相談した。
そしたらその何日か後に昼間2時ぐらいにいきなりその友人のおかーさんがホストファミリー宅へ訪問に来てくれたのである。
その時髪の毛は乱れたままでバスローブを着たホストマザーと出くわした!!!これが友人のおかーさんには衝撃的だったのか私をすぐ引き取ってくれた。こういう理由で私は新生活を友人宅で過ごすことになる。 
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★ブルーカフェ★一番の思い出★
大体放課後なんかはみんなでワイキキビーチに直してました。。
ハワイは学校にいくときでもビーチに行く洋服でいってたくらいだからそのままビーチによく行ってたよ。
私が行ってた学校は授業が結構飛び飛びあったんだよね、だから結構一日中学校の近くに一日いなきゃいけない日もおおかったんだ。
それで私たち友達どうしの溜まり場があって、そのカフェの名前はいまだに知らない。。私たちがかってにブルーカフェってよんでたんだよね。。
中に入るとブルーの壁紙が印象的でかなり暗くてゲイのにーちゃんがウエイターなの。。今思うとアメリカテレビドラマのフレンズに出てくるセントラルパークカフェみたいな場所だったな。私たち友達同士の間では。。
朝一番最初のクラスがおわったら誰かがそこのカフェの一番大きいソファーをとるの、そして、一時間授業が終わるうちにみんなきて、一日中私たちの友達だれか、最低でも3人ぐらいはそこのソファーにいつもいた。。
そしてだれかが授業にいってまた違う友達が授業をおえてブルーカフェに来る。これが私たちの学校での過ごし方。
そのソファーには私たちのグループ誰かがあさの10時から夕方の6時まではいたんだー。
凄く懐かしい。なにかハワイでの思い出って聞かれたらきっとブルーカフェだろう。。
今度ハワイに行く機会があったらまた是非訪れたい場所。
一度ハワイに旅行で戻って実はこっそりブルーカフェにドブりと二人で行ったの。でもなんか凄くかなしくなった。
だっていつもとおんなじインテリアやデコレーションのブルーカフェのそのソファーにまったく私の知らない学生グループが自分たちの居場所のようにゆうゆうと占領してて話しに夢中になっていたから。。やっぱり2年も月日がたつと何もかも変わるんだなーって思いながらドブリと2人で端の方の小さなテーブルに着きいつも飲んでいたパールミルクテイを頼んだ。
あのカフェのお客さん誰一人顔見知りの人はいなかったし、ゲイのニーちゃんもまったくきずいてくれなかった。。
でもあの時の友達もそれぞれの国に帰ったり、子供を生んだり新しい生活をすすめてるからもうあのブルーカフェは戻ってこないんだろうね。。







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